いま何ができるのか

6/29の朝日新聞のサッカー特集ページにオシム氏と岡田氏のコラムが掲載されていた。
オシム氏は、日本がここまで歩んで来た道は間違っていない、これからも自信を持って進むべきだと述べている。
岡田氏は、取り組めることは指導者育成と選手育成しかない、という。

次期監督人事が喧しいが、誰が監督になるにせよ日本の方向性とその人物の志向をよくよくすり合わせて任せるに足る人材をあてがうことが大切だろう。
しかし、それよりも重要なことは育成。指導者も選手も。

岡田氏もオシム氏もリスクを負うこと、アグレッシブになることの、日本にとっての困難さを揃って指摘している。
どんなに上手くても、最後はそこがモノをいう。失敗を怖れず前に出られるかどうか。

オシム氏は言う、
選手だけでなくサポーターやメディアも、サッカーに対する見方、考え方を変えて行く必要がある、と。

相変わらず含蓄のあるコトバではある。

どんなサッカーがいいんですか?

自分は司馬遼太郎さんの著作が好きなのだが、司馬史観という言葉がある。史観?定義がよくわからないが司馬氏の見た歴史、司馬氏的歴史の解釈ってことなんだろうか?

南アフリカ大会で岡田監督は直前に戦い方を変更した。守ってカウンターという、守備的なサッカーに。これをジャーナリストなのか評論家なのかよくわからない人がアンチフットボールと評し、日本のためにこのチームは早く負けたほうが良いと述べたらしい。

オランダの名選手でありバルセロナの監督を務めたヨハン・クライフは1-0で勝つより3-4で負けたほうがいい、ということを言ったらしい。どういう脈絡で言ったのかはわからないが、スペクタクルなサッカーをしたいという氏の哲学なのだろう。

スペクタクルで見ていて楽しいサッカーを私も見たい。そんなゲームを日本代表が展開して勝ってくれればこんな楽しいことはない。しかし、クライフの言葉を引くまでもなく、勝敗ということに関してはリスキーな戦い方だ。

なにより、日本にとって勝たなければ見えない世界があるということは重要だったと思う。だから、南アフリカ大会の岡田監督の決断は正しかったと思っている。個人的にはそれまで通り「接近・展開・連続」のサッカーを見せてもらいたかったけど。
結果は、自国開催ではない場所でのベスト16。ベスト8にもう一歩だった。

ブラジルに向けてはそうではなく、自らアクションを起こしてゲームをコントロールすることを目指してチームを作ってきたと思う。そういう監督人事で、俄然楽しみだった。南アフリカでどれくらい通用するかを見てみたかったが、ブラジルではその挑戦が見られそうだと思った。
しかし、それはリスキーな戦いになることも予想された。

まぁ、結果は自滅だったわけだが……

がっかりしたけど、挑戦したことは評価したいし、方向性は間違ってないと思う。わたしは。

勝つことだけが目的なら、あまり無理をせずゴール前を固めてカウンターを狙えばより合理的だと思う。しかし、それは私のサッカー観にはあわない。

サッカー観? ってなんなんでしょうねぇ

そないにやいやい 言いなや 2014ブラジルワールドカップ日本代表

日本負けちゃいました。
とたんにザックの戦術が〜とか、優勝なんてはじめから言うな〜とか、散々こき下ろす言説が雨後の筍のように出てきてるわけですが、まぁ、やいやい言いなやと思うわけです。http://www.plus-blog.sportsnavi.com/zubonkey2009/article/103とかね。

しかし、ニュースに出てくる美人サポーターさんたちはどこかのモデル事務所の人たちなんでしょうか?http://netallica.yahoo.co.jp/wcup2014/


それはさておき、自分はサッカーをやり始めて’74西ドイツ大会からワールドカップというものに触れたのですが、当時はオリンピックより大規模なサッカーだけの大会があるんだぁ。しかも無茶苦茶レベル高いー、とあこがれるだけの大会でした。スパイクに選手の名前がついたのはこの頃からじゃないだろうか?ベッケンバウアーとかボンバー(ゲルト・ミュラーのこと)とかね。
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'78アルゼンチン大会はスタジアムに膨大な紙ふぶきの舞う幻想的な風景が印象的だった覚えがあります。闘牛士ケンペスが得点王になったのだけれど、スマートでかっこよかったなぁ。この大会はNHKが放送してたのですが、未明に起きてテレビをつけると画面は砂嵐状態。でも時間になると突然中継が始まるという具合だったように記憶します。その後、スペイン、メキシコ、イタリア、アメリカ、フランス、日韓、ドイツ、南アフリカと経験してきたことになる。我ながら歳とったなぁ…
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そんな私はイタリア大会までは、自分が生きているうちに我が日本代表がワールドカップに出場することはあるのだろうかと、ほんとに思ってました。同年代のサッカーファンはほぼ同じ思いでいたのではないかと想像します。
当時は、お隣の韓国にぜーんぜん勝てず、もっと前は東南アジアの国にも勝てるとは言えなかったのですから。国立競技場での木村和司さんのあの伝説のフリーキックを電光掲示板の下のほうで見てたのですが、たしかにあのフリーキックのボールスピードや球筋(曲がって落ちる)はすごかった。でも、伝説伝説と言われるけど、あの試合は負けてるし、予選をトータルで考えたらあと一歩といわれたものの、全然届いてなかったんです。芝は茶色でしたし。
http://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_ftbnn/top914-01057964.jpg



しかし、このあたりか、これより以前からかサッカー界は水面下で動いていて、完全プロ化へ向うわけです。
で、迎えたプロ化直前のアメリカ大会予選で「ドーハの悲劇」があったのですが、あのロスタイムのコーナーキックからの失点の瞬間。あの唖然、脱力、呆けた感、たるや筆舌に尽くしがたかった。大げさではなくそれまで生きてきた中でこれほど打ちのめされた経験はなかったといってもいいくらいでした。
サッカー日本代表が国民的な関心事になるのも初めてといっていいことだったし、そのさなかで起こった信じがたい結果。現地から日本のスタジオにカメラが切り替わったとき、金子アナウンサーは立場上何かしゃべるのだけれど、岡田さんは泣いてました。
(サッカーに関して)現在ほどではないかもしれないけど、国民的なあるいは民族的な経験をつんだ始めての出来事だったと思います。
あのセントラル方式の最終予選ではレフェリーの判定も心なしか日本に有利な笛が多かったように思っています。アメリカの次の次は日韓でしたから、そんなことも影響してるのかなと思えました。うがった見方ですが。
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以後、本大会は出場国が拡大されフランス大会から日本は連続して出場できるまでになりました。往時を思えば夢のような事態になってます。5回出場して2回は一次ラウンドを突破して二次ラウンドに進出してます。これは世界を見渡しても、強豪国を除いて出色のことではないでしょうか?急速も急速な進歩発展と言えます。急速過ぎます。
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スペイン大会の頃、調べることがあって日本サッカー協会を訪れたことがあります。当時は代々木の岸記念体育館内に事務所がありました。なんか雑然としてました。現在のJFA News、当時は機関紙サッカーと言っていた刊行物のバックナンバーのコピーをとらせてもらったのですが、ちゃんと保存されてないものもあったように記憶してます。当時は日本サッカー協会と言ったってそんな感じでした。それが、10年後にはプロの興行を統括するまでになっていきました。(実際は別組織とはいえ)
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日本が世界に最初に顔見世したのはベルリンオリンピック、その後戦争を経てメキシコオリンピックで銅メダルを取りました。しかし、世界ではこの間にもある種の変革があり、私はそれは1950年代のハンガリーに見出すことができるのではと思います。それを引き継いで成果をみたのが(ヨーロッパで開催されたにもかかわらず唯一南米国が優勝した)スウェーデン大会のブラジルだと思います。しかし、世界のサッカー地図から見れば極東のさらに東の端っこの一小国の日本にはそのような情報が伝わった形跡はありません。
私がサッカーを始めたのが’74年あたりで当時のやり方はスリーバックの後ろにスイーパーを置いた4−3−3のマンツーマンマークを原則としたやり方だったと記憶します。まんま、西ドイツです。ここでは詳しくは書きませんが、スペース(ゾーンという言い方をしていた)という概念は全くといっていいほど希薄だったと思います。またオランダサッカーへの憧れはあったものの、それを実践できる人もチームもなかったと思います。
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'80年代海外のクラブチームを招聘して代表とゲームがおこなわれてました。それだけお金があったんでしょうなぁ日本には。ペレ、ニースケンスベッケンバウアー、クライフ、チガナ、オベラーツなんかが日本でプレーするのみてわくわくしてました。でも、代表はもちろん勝てません。たまに間違って先制しようものなら、俄然相手は本気になってきて簡単に逆転されてました。相手チームはみなさん観光のついでにゲームをやってたみたいです…時差ぼけしてても、日本は勝てなかったんです。

日本で本気の「世界」が見られるのはトヨタカップだけ、だったでしょうね。しかし、この大会もヨーロッパ側にとってはコンディション調整がむずかしいというか、ほとんど無理な大会で、ヨーロッパは負け続けてました。

技術的なこと戦術的なことを含めてアトランタオリンピックチーム以前までは日本は情報から隔離された極東の一小国に過ぎなかったと思います。戦術的には、日本にはオフトによって初めて世界の潮流に乗ったサッカーがもたらされたと思ってます。

'90年代あたりからサッカー協会の若年層の指導指針が固まり始め、その成果が現れ始めたのが前園、城、宮本、中田世代くらいじゃないでしょうか?アンダー世代がアジアを抜けて世界に出はじめましたよね。メキシコオリンピック以後、いったい何をやってきてたんだちゅうハナシなんですが、これも極東の一小国の悲哀かもしれません。

日本も含めて東アジアの国はサッカーの中心からはずれています。そのなかで強化するにはどうしたらよいか、よーくよーく考えないとダメなんです。代表チームの出来不出来に一喜一憂するのは避けられないとしても、それは育成年代をも含めたそこまでやってきたことの途中経過。そこで、さじを投げるような言説はどーなんでしょうね、と思うわけです。まぁ、ドーハの悲劇なるもの、あれは悲劇なんかじゃなくてサッカーの日常の一部だったんです。イングランドだって70年代から80年代ながらく低迷してました。カントナを擁したフランスだって同時期に日本のドーハと同じような目にあってますし、日韓大会にオランダは出場してました?悲劇なるものは枚挙に暇がありません。

今回の日本代表については初戦が全てだったと思います。日本(人)のナイーブさがもろに出てしまい、建て直しが出来なかった。
「自分達のサッカー」と選手たちが言い続けたのは、それを信じるしかなかったから。拠り所だったから。
世界に(あくまで)「挑戦」しようというレベルにしかない日本の選手には、拠り所が必要だったと思うし、それでよかったと思う。また、信じるしかなかった「自分達のサッカー」に、それなりの自信をも持っていたと思う。それでいいじゃないか。
ただし、それを重要な局面(初戦)で発揮することが出来なかった。そこが敗因だと思う。なぜ発揮できなかったのか。端的に言ってびびったから。
インテルミランシャルケマンチェスターユナイテッド、世界的なクラブでプレーする選手たちでさえ、ワールドカップの初戦では「日本人」に同化してしまった、と自分は思いました。
願わくば、昨年のコンフェデ杯ブラジル戦の後、立て直してイタリアに挑んで行ったあの姿勢を「初戦で」見せて欲しかった。

技術的、戦術的に積み上げてきたものはけっして間違ってないと思います。これからも継続して欲しい。

強い個を育成しなくてはというが、はっきり言って日本には無理です。教育から変えないと。そんなの50年以上かかります。そういう選手が出てきたらマスコミ筆頭にみんなで叩くのが日本です。岡田ジャパンで本田がオランダとのテストマッチに起用された後の雰囲気を思い出してもらえばわかります。和を乱すように見えるだけで叩くのが日本の風土なんです。50年以上かかります。育成段階でもそういう方向性で育成してるように見えます。無茶な奴を辛抱強く育てるようにはなってないと。

育成年代の選手を必要以上に持ち上げるメディアもいかがなものかと思います。自分達のめしのタネを早いうちからつぶしてしまいかねないことをなんでやってるんだろうと思います。辛抱せえよ、と。

まぁそういったことも含めて、あんまり やいのやいの言いなや。と思うわけです。

読書の秋

鴨川ホルモー

鴨川ホルモー

プリンセス・トヨトミ

プリンセス・トヨトミ

ホルモー六景 (角川文庫)

ホルモー六景 (角川文庫)

一気に万城目作品を読んでしまった。興味を失ってしまうと途中で本をうっちゃってしまうことが多々あるんだけど、万城目作品はどれも一気に読んでしまった。電子版でね。舞台がどれも大阪、京都なもんで元関西人の私としては懐かしいやら嬉しいやら。ただ、からほり商店街ってのは知らなかったけど。
映画よりやっぱり原作がいい。
ー追記ー
映画プリトヨには幼なじみの友人がエキストラで出演していて、その他大勢的な中でもけっこうそれとわかるような使われ方をしていて、そっちでも笑わせてもらいました。この話の底流に流れる関西人が持つ東京に対するそこはかとない敵愾心がわかるだろうか?うちの息子や娘にはわからないらしい(^^)。まぁ、あり得ない話で、そんなアホななんだけども、台湾人観光客のくだりは爆笑もので読まされた。

かたや、ホルモーは京都を舞台とした学生の雰囲気がなんかいい。京都には今でも、もののけがほんとにいるのだろうと、やや信じている私としては、ぜひオニ達を使役したいと…
続編 というかそのスピンオフになる「ホルモー六景」は本編とこの六話が相互に関連してて、そこにつなげるかい、と楽しませてくれます。関東でもホルモーが行われていたとは… 映画ではオニ語とそれに付随する振り付けがフィーチャー?されてましたが、我が家ではブームになってます、遅ればせながら。

この国はだれが動かしているのか

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昔からそうだったのかもしれないが、震災以降日本の三権分立は虚構だったのではないか?とか、ある程度は信頼をおいていた統治機構に強烈な疑問を持つようになってきた。
一国の大臣の身分はこんなに軽くていいのだろうか?

以前から政治家の「失言」問題は何度もありそのようなことがあると新聞やテレビがそればかり報道する傾向には辟易していたが、ここに来て何らかの意図がそこに働いているんだなぁということがわかった。遅まきながら。
それどころか今回の鉢呂元経産大臣については、でっちあげじゃないのか?とさえ思う。今までの数ある「失言」問題を詳細に知っているわけではないが、今回の件は私のような素人がみてもわかるほど露骨だ。
問題の発言は「死の街」と「放射能をつけてやる」ということらしいが、後者については新聞各紙の表現がばらばらで誰に対していったのか、正確にはなんと言ったのかがまったくわからない。また、発言した時の状況もよくわからない。懇談会?オフレコ? それって何?だ。
この「失言」は2日連続で起きて二日連続で報道された。
「死の街」については福島原発周辺がそのような状態にあることは否めないし、むしろそうなってしまったことに対する責任の所在や今後の対処こそが重要なのに、そんなことを言うのはケシカランというのは問題点を曖昧にしたいヒトがいるのかと勘ぐりたい。
いわば、一国の大臣が(比喩で)真実を言った。そして、子供じみた発言をした「らしい」ということで辞任せざるを得なくなったということなのだ。
以前からの流れを追えば、原発を減らすとかなくすと発言したことが原因なのだろう、と思わざるをえない。前首相もそういうアクションを起こした途端にやめろやめろの大合唱だった。
震災直後、菅総理に対して自民党の谷垣総裁から、震災対応に注力されよ出来る限りの協力はする、旨の申し入れがあったに記憶するが、言葉と裏腹にそれ以後反対のための反対をしているようにしか見えなかった。菅じゃだめだの大合唱で、震災対応の具体なことは何一つ見えなかった印象がある。夏の電力需要に目処がついたと東電が発表し、その後浜岡の停止。そこからさらに菅ダメだキャンペーンは激しくなったように思う。
エネルギー問題には根深いタブーでもあるのだろうか?しかし、それと震災対応は別問題だ。
この夏、仙台に住む妻の古い友人が我が家に来た。ゆっくり休んでもらうつもりで現にそうしてもらったのだが、震災の話を聞くにつけ、国は何もしてくれないから自分らでやるしかない、という言葉が幾度となく出てきた。おそらくそうではないのだろうとは思うが未曾有の状況に置かれた人々の感覚はおおかたそうなのだろう。それが現実になってしまっている。現地がそんな感覚になっているときに、あの総理じゃダメだとか、大臣が取るに足らない「失言」をしたとかいうことを大問題に仕立てあげてる場合なのか。
全面支持しているわけではないが、辞任してしまった大臣にはこんなことで辞任してほしくなかった。もっと粘って自らが実現したかった政策をこそ問うて欲しかった。でも、なにか強烈な力が働いたのか、あっさり辞めてしまった。
いったいだれがこの国を動かしているか?

因果関係と関連性

児玉龍彦(東大先端研教授)×津田大介(ジャーナリスト)
前回触れた児玉教授と津田氏の対談。生で見たかったけど、今日アーカイブを見た。
我が意を強くするとともに、励まされ、感動した。高い専門性をお持ちでありかつ、わからないこと、専門外のことについては謙虚な態度を決して失わない姿勢に。
震災後いや、原発の事故後いつも苛まれ続けている思いがあった。「我々の世代はこの国を決定的に汚してしまったのだ」という……

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満身の怒り

http://youtu.be/O9sTLQSZfwo
http://youtu.be/LunV27H3oW8
東大先端科学技術センター 児玉教授の国会厚生労働委員会での意見陳述、質疑応答をみて考えた。。
氏は細かいデータをあげることは最小限にとどめ、放射線による被害を被る住民の不安を取り除き、安全を確保する方策に重点を置くことに徹底していたと思う。なぜか。すでにこの意見陳述を基にトゥギャられているが、その内容を見ればわかる。氏が最低限であろうあげた数字に学者や専門家はその妥当性、正統性を問うことに執心しているように見える。しかし、そのような議論は日常危険に晒されているかもしれない住民にはなんの安心材料にもならない。おそらく氏はそのようなことになることをわかった上で細かい数値を極力避けて意見陳述をし、質疑に答えたのだろう。
原発事故以来、いわゆる専門家といわれる人達のいうことには違和感を持ち続けてきた。そのことが端的に上記のことで明確になったような気がする。今現在非専門家に必要なのは児玉教授の言う緊急的な措置なのであり、学術的な検証や確認は遅れてもいい、ということだ。当然、過去の知見は大事だが、原爆被害型とは違う事態、即ちチェルノブイリ事故の前例はあるとは言え、ほぼ未知の事態に対処しなくてはならない時に細かい数値に専門家がこだわっている場合ではないということ。
公害問題が起きた時と全く同じ轍を踏んでいるのではなかろうか。
朝日新聞原田正純氏のインタビュー
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7b77b2902dc2815aeee3e70aa25d933c
からもわかるが、公害問題が起きた当時と学者の世界は全く変わってないように見える。水俣病は原因の特定に無為に時を費やし被害が拡大したことは明らかだ。この時もおかしなことをいう学者が存在し、彼らも時を浪費するのに一役買っている。
福島では原因物質は明らかだが、その総量と挙動がどれほど生態系に影響を与えるかが不確かだということであろうと思う。類型に違いはあれど結果の不確かさに於いては同じである。このような場合専門家がどう行動すべきか、公害問題から充分学べるはずではないのか?
特に旧国立大学やそれに関連する核、放射線の専門家は税金で禄を食んできたのだから、この期に結集し最低限でも放射線の被害から国民を守るための政策、施策の提言をすべきではないのか?それは反原発とも推進とも関係ないこととして。
時間が経てば経つほど被害が拡大するだろうことは明らかなのだから。
満身の怒りを込めて。