この国はだれが動かしているのか

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昔からそうだったのかもしれないが、震災以降日本の三権分立は虚構だったのではないか?とか、ある程度は信頼をおいていた統治機構に強烈な疑問を持つようになってきた。
一国の大臣の身分はこんなに軽くていいのだろうか?

以前から政治家の「失言」問題は何度もありそのようなことがあると新聞やテレビがそればかり報道する傾向には辟易していたが、ここに来て何らかの意図がそこに働いているんだなぁということがわかった。遅まきながら。
それどころか今回の鉢呂元経産大臣については、でっちあげじゃないのか?とさえ思う。今までの数ある「失言」問題を詳細に知っているわけではないが、今回の件は私のような素人がみてもわかるほど露骨だ。
問題の発言は「死の街」と「放射能をつけてやる」ということらしいが、後者については新聞各紙の表現がばらばらで誰に対していったのか、正確にはなんと言ったのかがまったくわからない。また、発言した時の状況もよくわからない。懇談会?オフレコ? それって何?だ。
この「失言」は2日連続で起きて二日連続で報道された。
「死の街」については福島原発周辺がそのような状態にあることは否めないし、むしろそうなってしまったことに対する責任の所在や今後の対処こそが重要なのに、そんなことを言うのはケシカランというのは問題点を曖昧にしたいヒトがいるのかと勘ぐりたい。
いわば、一国の大臣が(比喩で)真実を言った。そして、子供じみた発言をした「らしい」ということで辞任せざるを得なくなったということなのだ。
以前からの流れを追えば、原発を減らすとかなくすと発言したことが原因なのだろう、と思わざるをえない。前首相もそういうアクションを起こした途端にやめろやめろの大合唱だった。
震災直後、菅総理に対して自民党の谷垣総裁から、震災対応に注力されよ出来る限りの協力はする、旨の申し入れがあったに記憶するが、言葉と裏腹にそれ以後反対のための反対をしているようにしか見えなかった。菅じゃだめだの大合唱で、震災対応の具体なことは何一つ見えなかった印象がある。夏の電力需要に目処がついたと東電が発表し、その後浜岡の停止。そこからさらに菅ダメだキャンペーンは激しくなったように思う。
エネルギー問題には根深いタブーでもあるのだろうか?しかし、それと震災対応は別問題だ。
この夏、仙台に住む妻の古い友人が我が家に来た。ゆっくり休んでもらうつもりで現にそうしてもらったのだが、震災の話を聞くにつけ、国は何もしてくれないから自分らでやるしかない、という言葉が幾度となく出てきた。おそらくそうではないのだろうとは思うが未曾有の状況に置かれた人々の感覚はおおかたそうなのだろう。それが現実になってしまっている。現地がそんな感覚になっているときに、あの総理じゃダメだとか、大臣が取るに足らない「失言」をしたとかいうことを大問題に仕立てあげてる場合なのか。
全面支持しているわけではないが、辞任してしまった大臣にはこんなことで辞任してほしくなかった。もっと粘って自らが実現したかった政策をこそ問うて欲しかった。でも、なにか強烈な力が働いたのか、あっさり辞めてしまった。
いったいだれがこの国を動かしているか?