不確かな真実

以前に書いたエントリーから幾日か経った。
まだ大丈夫という見方と、危険であるという見方が錯綜していて右往左往するばかりだ。

現代は科学の恩恵をうけて発展してきた末にある。そもそも科学とキリスト教は不可分の関係だとか、科学と宗教の相克だとかそんな歴史にも思いを馳せたりした。科学的な知見に科学的な方法によらず異を唱えることは旧態依然な教条主義であると断ぜられるのは承知なつもりではある。しかし、そのような考え方自体にも疑問はある。
そもそも、科学者だって功名にはやる人間でもあるわけで、歴史の教科書を書き変えざるを得ないような考古学的発見のウソがバレたり、データの改竄が行われたりするのも科学の世界で起きていることだ。現代は科学の恩恵をうけて成り立っているのは承知で、非科学的なヒトの直感みたいなものをも少しは信じたい。
原発については反対すると左寄りというレッテルが貼られるみたいだが、人は右か左かで二分類できるようなものではなかろう。

現在進行している事態についてはこのエントリが的を得ていると思う。電力会社を糾弾してもしょうがない、と言っては語弊があるが天に唾するようなものではないのか?

原発は安全なのか?
これに対して、自動車やタバコのほうが危険だという比較が出現する。それが原因で死んだ人数からみるとそうなるのだそうだ。それが科学的な方法で出てくる結論なのであろう。疑問がないわけではない。しかし、科学的な方法では条件を一定に揃えて比較して出される結果は妥当なものだと判断するのがシキタリなのだろう。確からしいことや不確かなことは捨てられる危険性を孕みつつ。
以前どこかに書いたけど、タバコは肺がんリスクの一番になっている。疫学的な知見からはそれは常識である。学生時代の記憶で曖昧だが、衛生学の先生がこれに対して自動車が一台も走っておらず、工場排煙の全くない地域に関してはその限りではない。ということを言っていた覚えがある。じゃぁ肺がんリスクとして大気汚染も挙げられてしかるべきじゃないのか?と思ったものだが、そんな話は聞いたことがない。
チェルノブイリ事故によって拡散した放射性物質が原因で各種の癌患者が多数発生している。とする結果と、有意に増加しているわけではないとうい結果の両論がある。いずれも確からしく、また不確かである。だが、一定程度以上の量あるいは期間、放射線に曝露したり、曝露し続けると健康被害が出ることは確かである。
科学的な知見というものには時代や社会の情勢で、ある種の思惑が算入されるものなんだろう。と少なくとも私は信じている。