歴史の切断点

風の谷のナウシカで盲目の長老がうめいた言葉が頭の中を巡りだした。
ことは、そんな破滅的な状態にはなっていないと理性ではわかる。しかし、心情的にはそんな気分だ。
核は連鎖反応をおこして膨大なエネルギーを放出する。一定のレベルを超えてしまうとその反応は人間には抑えられない。という先入観があるからだろうか?
何を書きたいのかというと…全くまとまらない。まとまらないまま書き連ねる。

阪神淡路大震災で被害を受けた神戸は私の生まれ故郷だ。生まれてすぐ大阪府下に移ったので町のことをそれほど知っているわけではない。でも、生まれた場所だということでそれなりに愛着を持っていたし、高校、大学時代はよく通った。
関東で職を得て働き始め、その生活が軌道にのった頃震災があった。
あの日、朝、ラジオで一報を聞いたときはあんな事になっているとは思わず、一応大阪の実家に電話をいれた。妹が一人家にいて食器が落ちたりして家の中がむちゃくちゃだという。両親は母方の実家の岡山に行っているという。まぁ、ちょっと大きめの地震だったのだろうという認識で勤めに出た。
職場でテレビを見てると阪神高速が倒れていた(このあたり記憶が曖昧)。これはただごとではない。すぐに実家に電話を入れたが、以後一週間まったく繋がらなくなった。
その後はテレビから流れる信じられない光景をただただ呆然とながめながら過ごしていた。もう記憶は遠いが、阪神間にいる親戚一同は皆無事だという確認は程なくしてとれた。正直ほっとした。
以来、生まれ故郷の神戸には一歩も足を踏み入れられずにいる。
怖いのだ。
何が?
わからない。

今回の東北を中心とした震災で亡くなった方は、阪神淡路震災のそれを1週間で上回ってしまった。10年以上かけて確定した人数をだ。

今日、カミさんが近所の奥さんに用事があって電話をした。要件がすむとちょっと話していいかと言う。何かと問うと、津波の映像を見て以来恐くて外に出られないと言うのである。小学生のお子さんが二人いる。子供たちをどうやって守ればいいかわからないと。一聞してかなりやばい状態ではないかと思った。
私たちの街は海沿いの平野部である。今次の震災で発生した津波と同等のことが起こればひとたまりもないだろうことは、口に出さなくとも皆実感しているだろう。でも、そんな不安を誤魔化しながら生きている。誤魔化さなければ、まっとうな生活は送れなくなりそうだ。それは自分も同じだ。

茨城県南部にはもう一人の妹夫婦とその子どもが住んでいる。
当初断水や停電で大変だったらしいが、もうだいぶ落ち着いている様子だ。
しかし、ここにきて原発からの放射性物質放射線の危険性が真実味を帯びてくるにつけ、理性では大丈夫だとわかっても心情的には焦燥感を持たざるを得ない。

自分は心情的には原子力発電には反対だ。ここ数年、仕事と自分の興味の両方でいわゆる環境問題と言われることについて調べる機会があった。広く浅くではあるが。
分別したっていい加減に処理されているゴミや、リサイクルにかかるエネルギーの馬鹿らしさや、地球温暖化に名を借りた先進国のエゴみたいなものや、俗説、定説入り乱れて何がなにやらわからないのが環境問題でもあろうかと思った。
ただ、エネルギーに関することのうち原子力発電だけは、やっぱりまずいんじゃないかという結論を持っていた。
電力会社や電源開発に関わる組織は自然界に存在する放射線量と原発周辺の放射線量を比較したり、原発に施された何重にもわたる安全装置をアピールしてその安全性を保証(?)していた。
逆に、原子力発電に反対する勢力はそれらの情報の信憑性を疑い、過去の原発事故の隠蔽や現場に従事してきた人のお話(?)などでその危険性をアピールしている。なかにはオドロオドロシイものもあったように記憶する。
原発誘致の実態や、地元住民に関するレポートなんかも読んだけど、内容に多少の誇張があるかもしれないが、これでいいのかとも思わされた。
結論として、日本のような地理的条件(特に地震)では原発は安全とは言い切れないということと、使用済燃料を含めた原発から出る放射性廃棄物の処理方法が確立されていない、という点で原発に依存したエネルギー供給から脱却すべきだと思っていた。使用済み燃料については地層処分が進められようとしているが、数十年もしくは百年単位で処分地を管理するなんて不可能だと思うので、確立されていないとした。
後出しジャンケンみたいだけど、地震による被害で福島の原発は取り返しのつかない状態になってしまっている。地震そのものには耐えたようだが…

歴史には切断点があり、この3・11は日本人にとってその点になるであろうといった人がいた。
この地震は天罰で、これを期に我欲を流したほうがいい、といった人がいた。

こんなことでもない限り、私たちはいろんなところで繋がっているのだという実感を持てずにいたのかもしれない。皆が節電に協力し、停電にさして文句も言わず、被災地に物資やお金を送り、テレビに映る瓦礫の街や、見知らぬ他人の悲しみに心の底から共感し涙する。

たしかに、3・11を境になにかが変わるだろうという予感があるけど、まだこの震災を受け止めきれない。
でも、もし変えられるのなら、まずエネルギー政策は転換したほうが良いのではないだろうか。
(つづく)